大判例

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最高裁判所大法廷 昭和28年(あ)4841号 判決 1960年7月20日

主文

本件各上告を棄却する。

理由

被告人李甲祚の弁護人本間大吉、同被告人及び被告人李今同の弁護人掴原隆一の各上告趣意について。

そもそも憲法二一条の規定する集会、結社および言論、出版その他一切の表現の自由が、侵すことのできない永久の権利すなわち基本的人権に属し、その完全なる保障が民主政治の基本原則の一つであること、とくにこれが民主主義を全体主義から区別する最も重要な一特徴をなすことは、多言を要しない。しかし国民がこの種の自由を濫用することを得ず、つねに公共の福祉のためにこれを利用する責任を負うことも、他の種類の基本的人権とことなるところはない(憲法一二条参照)。この故に日本国憲法の下において、裁判所は、個々の具体的事件に関し、表現の自由を擁護するとともに、その濫用を防止し、これと公共の福祉との調和をはかり、自由と公共の福祉との間に正当な限界を劃することを任務としているのである。

本件において争われている昭和二五年広島市条例第三二号集団行進及び集団示威運動に関する条例を改正する条例(以下「本条例」と称する)が憲法に適合するや否やの問題の解決も、結局、本条例によって憲法の保障する表現の自由が、憲法の定める濫用の禁止と公共の福祉の保持の要請を越えて不当に制限されているかどうかの判断に帰着するのである。

本条例の規制の対象となっているものは、道路その他公共の場所における集会若しくは集団行進、および場所のいかんにかかわりない集団示威運動(以下「集団行動」という)である。かような集団行動が全くの自由に放任さるべきものであるか、それとも公共の福祉-本件に関しては公共の安寧の保持-のためにこれについて何等かの法的規制をなし得るかどうかがまず問題となる。

およそ集団行動は、学生、生徒等の遠足、修学旅行等および、冠婚葬祭等の行事をのぞいては、通常一般大衆に訴えんとする、政治、経済、労働、世界観等に関する何等かの思想、主張、感情等の表現を内包するものである。この点において集団行動には、表現の自由として憲法によって保障さるべき要素が存在することはもちろんである。ところでかような集団行動による思想等の表現は、単なる言論、出版等によるものとはことなって、現在する多数人の集合体自体の力、つまり潜在する一種の物理的力によって支持されていることを特徴とする。かような潜在的な力は、あるいは予定された計画に従い、あるいは突発的に内外からの刺激、せん動等によってきわめて容易に動員され得る性質のものである。この場合に平穏静粛な集団であっても、時に昂奮、激昂の渦中に巻きこまれ、甚だしい場合には一瞬にして暴徒と化し、勢いの赴くところ実力によって法と秩序を蹂躙し、集団行動の指揮者はもちろん警察力を以てしても如何ともし得ないような事態に発展する危険が存在すること、群集心理の法則と現実の経験に徴して明らかである。従って地方公共団体が、純粋な意味における表現といえる出版等についての事前規制である検閲が憲法二一条二項によって禁止されているにかかわらず、集団行動による表現の自由に関するかぎり、いわゆる「公安条例」を以て、地方的情況その他諸般の事情を十分考慮に入れ、不測の事態に備え、法と秩序を維持するに必要かつ最小限度の措置を事前に講ずることは、けだし止むを得ない次第である。

しからば如何なる程度の措置が必要かつ最小限度のものとして是認できるであろうか。これについては、公安条例の定める集団行動に関して要求される条件が「許可」を得ることまたは「届出」をすることのいずれであるかというような、概念乃至用語のみによって判断すべきでない。またこれが判断にあたっては条例の立法技術上のいくらかの欠陥にも拘泥してはならない。我々はそのためにすべからく条例全体の精神を実質的かつ有機的に考察しなければならない。

今本条例を検討するに、集団行動に関しては、公安委員会の許可が要求されている(一条)。しかし公安委員会は「周囲の情勢から合理的に判断して」その集団行動の実施が「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合の外はこれを許可しなければならない」(三条)。すなわち許可が義務づけられており、不許可の場合が厳格に制限されている。従って本条例は規定の文面上では許可制を採用していても、この許可制はその実質において届出制とことなるところがない。集団行動の条件が許可であれ届出であれ、要はそれによって表現の自由が不当に制限されることにならなければ差支えないのである。もちろん「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合」には、許可が与えられないことになる。しかしこのことは法と秩序の維持について地方公共団体が住民に対し責任を負担することからして止むを得ない次第である。許可または不許可の処分をするについて、かような場合に該当する事情が存するかどうかの認定が公安委員会の裁量に属することは、それが諸般の情況を具体的に検討、考量して判断すべき性質の事項であることから見て当然である。我々は、とくに不許可の処分が不当である場合を想定し、または許否の決定が保留されたまま行動実施予定日が到来した場合の救済手段が定められていないことを理由としてただちに本条例を違憲、無効と認めることはできない。本条例中には、公安委員会が集団行動開始日時の一定時間前までに不許可の意思表示をしない場合に、許可があったものとして行動することができる旨の規定が存在しない。しかし、この場合に行動の実施が禁止され、これを強行すれば主催者等は処罰されるものと解釈し、かような規定の不存在を理由にして本条例の趣旨が、集団行動を一般的に禁止し許可制を以て表現の自由を制限するに存するもののごとく考え、本条例全体を違憲であるとするごときは当を得たものということができない。

次に所論は、規制の対象となる集団行動が行われる場所に関し、本条例が集会若しくは集団行進については「道路その他公共の場所」、集団示威運動については「場所のいかんを問わず」というふうに規定しているのは一般的制限禁止を規定した許可制を定めたものであると主張する。しかしいやしくも集団行動を法的に規制する必要があるとするなら、集団行動が行われ得るような場所をある程度包括的にかかげ、またはその行われる場所の如何を問わないものとすることは止むを得ない次第であり、他の条例において見受けられるような、本条例よりも幾分詳細な基準(例えば「道路公園その他公衆の自由に交通することができる場所」というごとき)を示していないからといって、これを以て本条例が違憲、無効である理由とすることはできない。なお集団的示威運動が「場所のいかんを問わず」として一般的に制限されているにしても、かような運動が公衆の利用と全く無関係な場所において行われることは、運動の性質上想像できないところであり、これを論議することは全く実益がない。また、集団行動を規制する本条例は行動の目的、時間についての制限基準を示さないけれども、「周囲の情勢から合理的に判断して、その集会、集団行進又は集団示威運動の実施が公共の安寧を保持する上に直接危害を及ぼすと明らかに認められる場合の外は、これを許可しなければならない」(三条一項)と規定している以上、これをもって憲法二一条一項に違反するものとはいえない。

要するに本条例の対象とする集団行動、とくに集団示威運動は、本来平穏に、秩序を重んじてなさるべき純粋なる表現の自由の行使の範囲を逸脱し、静ひつを乱し、暴力に発展する危険性のある物理的力を内包しているものであり、従ってこれに関するある程度の法的規制は必要でないとはいえない。国家、社会は表現の自由を最大限度に尊重しなければならないこともちろんであるが、表現の自由を口実にして集団行動により平和と秩序を破壊するような行動またはさような傾向を帯びた行動を事前に予知し、不慮の事態に備え、適切な措置を講じ得るようにすることはけだし止むを得ないものと認めなければならない。もっとも本条例といえども、その運用の如何によっては憲法二一条の保障する表現の自由の保障を侵す危険を絶対に包蔵しないとはいえない。条例の運用にあたる公安委員会が権限を濫用し、公共の安寧の保持を口実にして、平穏で秩序ある集団行動まで抑圧することのないよう極力戒心すべきこともちろんである。しかし濫用の虞れがあり得るからといって、本条例を憲法二一条に違反するものとはいえない。してみれば本条例が憲法一一条、一三条に違反するといえないことも明らかである。論旨は理由がない。

よって刑訴四一四条、三九六条に従い、主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官藤田八郎、同垂水克己の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官藤田八郎の反対意見は次のとおりである。

自分は、本条例が第一条において、道路その他公共の場所で行う集会、集団行進又は場所のいかんを問わず集団示威運動は公安委員会の許可を受けないでこれを行ってはならないと規定し、この種行動に対し許可制を採っている点において同条例は憲法の趣意に沿わないとするものであるが、その理由は、東京都条例に関する昭和三五年(あ)第一一二号事件大法廷判決(同年七月二〇日言渡)における自分の反対意見と同旨であるからここに引用する。

裁判官垂水克己の反対意見は次のとおりである。

本条例は集会、集団行進又は集団示威運動の自由を制限する基準が全体的に不明確な傾向を持っているが、集団示威運動については「場所の如何を問わず、公安委員会の許可を受けないでこれを行ってはならない」旨を規定しながら「同委員会が示威運動開始の一定時間前迄に条件を附し又は許可を与えない旨の意思表示をしないときは許可のあったものとして行動することができる」というような規定を欠く。本条例の明文に従えば示威運動は場所の如何を問わず許可、不許可の意思表示を受けないで行えば処罰されることになっているから、右いずれの意思表示をも受けない場合には、一般民衆は同運動をあきらめ、一方、警察は何の意思表示もないのに同運動が行われた場合これを検挙する措置をとることが屡々生ずることがないとは断じ難い。その場合警察のかような措置を職権濫用ともいえないのではないか。本条例のような表現の自由の制限規定を多数意見の程度に合憲のように解することは相当とは思われない。同運動の自由を制限する基準を明確なものに改めない限り、集団示威運動に関する本条例の規定は憲法二一条に違反すると解するのが相当である。原判決は破棄を免れない。(詳細は昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例違反昭和三五年(あ)第一一二号事件大法廷判決における私の反対意見参照。)

(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村又介 裁判官 入江俊郎 裁判官 池田 克 裁判官 垂水克己 裁判官 河村大助 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 奥野健一 裁判官 高橋 潔 裁判官 高木常七 裁判官 石坂修一)

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